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減速する中国の外交力と周辺地域動向(15)

(続き)

6.2 過去との近似:中朝国境に表面化する「周恩来戦略道路」

  次に、現在の中国が北朝鮮に対する具体的な進出手段として、交通・運輸体系の確立が進めていることを示す。地域への影響力浸透を図る際、道路や鉄道などの輸送手段を構築していくことは、中国古来の伝統的な戦略である。それは過去の冷戦期には、チベットで、ウイグルで、そして対東南アジア戦略で激烈に出現した。改革開放後に中国の強国志向の性質が、政体やイデオロギーの拡大という形の覇権主義から、経済発展と国際化を背景とした発言力強化に舵を切った後も同様である。
  中国は現在、対外開放政策や交通インフラの整備を通じ、経済や貿易でのプレゼンスを上げ周辺国への影響力を拡大している。そこに中越戦争に至る直前の交通戦略との近似を感じたことから、ここに具体的に比較を行っていくものとする。

6.2.1 冷戦期の対東南アジア交通戦略

  ■ベトナム戦争期の道路援助:中国とベトナムの「永遠なる友情」

  2010年6月15日の『新華網』に「新中國32萬大軍抗美援越紀實」と題された記事が掲載された〔211〕。その中では雲南とも広西とも隣接する東南アジアの国・ベトナムとの「永遠なる中国とベトナムの両国関係の歴史」の美談として、ホー・チ・ミンの要請でベトナム北部へ中国が道路を建設したことが書かれている。
  ベトナム民主共和国初代国家主席・ベトナム労働党中央委員会主席であったホー・チ・ミンは、1965年に北ベトナムの最高指導者として中国を訪問した。中国文史出版社の『毛澤東眼中的美國(=毛沢東の眼に映る米国)』の中でも詳しく書かれているが〔212〕、ホーは秘密裏に列車で中国へ入り、中越国境から湖南省(毛沢東の出身地でもある)へ一直線に伸びる鉄道・湘桂線を北上。湖南省の中心地である長沙で毛とホーは会見を行った。
  ベトナムの情勢を毛沢東は詳細に把握していた。すでに同年2月10日には、「ベトナム人民の侵略反対闘争」を支援するとして、北京で大々的なデモが行われた〔213〕。毛はベトナム支援デモを見つめる2月10日の天安門楼上で、北ベトナムの中国駐在責任者、南ベトナム民族解放戦線の中国駐在代表団の団長らに「アメリカ人は更に来る、きっと朝鮮戦争が再来する」との見通しを示している。それは1964年8月にアメリカがベトナムへの本格介入を狙ってトンキン湾事件を画策し、米国議会が「あらゆる手段でアメリカ軍に対する攻撃を取り除く」権限〔214〕を大統領に与え、1965年2月7日からアメリカが「オペレーション・フレイミング・ダート」として北ベトナムへの爆撃を本格化させた直後のことであった。
  同年春のホー・チ・ミンとの会見では、毛沢東は開口一番、以下の様に述べた〔215〕

  胡(ホー)主席、あなたは越南(ベトナム)出身で、私は湖南(湖南省)出身だ。私達は家族も同然だ。どんな困難があるか。人が必要なら人を、物を必要なら物をと言ってほしい。


  胡主席,你來自越南,我在湖南,咱們一家子嘛! 有什麼困難?要人有人,要物有物,你說。

  ホー・チミンは毛沢東にベトナムの情況を幾つか述べたのち、人民服のポケットの中から1枚のメモを取り出した。それはベトナムのハノイ以北における、12条の道路建設図であった。毛沢東は道路建設の援助の要請を迷いなく承諾し、周恩来は毛沢東の電話を受け直ちに参謀本部の羅瑞卿、楊成武らを呼びつけ、「この度ホー・チ・ミン主席は1枚の図面を持ってきた、私達は彼に12条の道路修理を手伝う必要がある」と、そばにいる楊成武にベトナム北部道路の説明図を広げた。
  なお北ベトナムは中国から軍事援助を受けていたが、同様にソ連からも軍事援助を受けていた。1965年2月にはアレクセイ・コスイギン首相がハノイ入りしていた〔216〕。中ソ対立を抱えていた中国は、対抗するかのようにこの後、援助を増大させていく。事実このコスイギン一行の外遊は、北ベトナムのみならず北朝鮮に対する訪問も含み、途中で北京に滞在したものの物別れに終わっている。
  
  ■ラオスにおける道路戦略:雲南発とハノイ発

  周恩来は1968年にもラオスで、人道援助を装い、中国人民解放軍による道路建設に着手させている〔217〕。すでに中国は1962年1月に雲南省国境から、ラオス政府との間で取り決めを交わしていたポンサリーに至る長さ80キロメートルの道路を完成させており、橋梁や工夫の家屋およびその他設備は、無償・無条件で中国から贈られたものであった〔218〕。1968年の道路建設も1962年の協定を根拠に実行されたが、この1968年という時期は、まさに北方からルアンプラバンに到る最後の峠のラオスの要所となるナムバク地区が共産勢力の手に陥落したナムバク戦役の年であった〔219〕
  しかし当時ラオス領内は、先に述べたようにインドシナ共産党の系譜を引くベトナム系共産勢力の最大の勢力拡大ポイントであった。すでにベトナムとラオスが共産化した中越戦争の直前、共産ラオス政府が中国に対し、ナムバク地区からの道路についての建設中止と技術要員の引き揚げを要求した際には、中国は反発の色を隠さなかった〔220〕
  なお北ベトナムも、当時ベトナム中部、ラオス、カンボジアを貫いて南ベトナムを目指す戦略的軍事道路「ホーチミン・トレイル」〔221〕を建設していた。また内戦が進むラオスで共産勢力の支援に向け4本の道路建設を行っており、その実行された年はまさに中国とラオスが道路建設の協定を結んだ1962年その年であった。これは明確に国際法違反であった。
  米国が「オペレーション・バレル・ロール」をはじめとする北ベトナムへの爆撃のなか、ラオス領内をも爆撃しカンボジア侵攻にも至った理由はここにあったわけだが、このインドシナ山岳地帯で行われた道路建設は、あたかも南ベトナム「解放」の後に来る中越戦争が約束されたかのようであった。すでに戦争前夜には両国からの戦略道路「周恩来戦略道路」「ホーチミン・トレイル」が網の目のように形成されつつあった。それは共産ラオスが中国とベトナムのどちらに与するのかという引き込み合戦と分かちがたく結びついていた。

  周恩来戦略道路とホーチミン・トレイル
  ▲周恩来戦略道路とホーチミン・トレイル(クリックで拡大できます)

  ■周恩来戦略道路:援助という名の牽制

  ラオスに出現したこの状況は中国の手のひらの上ではなかったか。毛は既に1965年、いや1962年の段階でインドシナを影響下に組み込む構想をもっていたのではないか。一連の道路戦略は、明らかに中国の体制下にベトナム・ラオスを結合させる引力として作用した。後に「中国の北ベトナムへの牽制だった」〔221〕と周恩来に言わせたように、道路建設はラオス政府の査察なしに戦争の真っ只中進められていた。米国が引揚げた後、北ベトナムのインドシナ3国支配を恐れる中国のラオス道路戦略である。先の中越戦争の原因で述べたように中国は、北ベトナムが南北統一後に、大インドシナ連邦を企図している野望をすでに嗅ぎ取っていたと言える。
  中国はこの時点で、ベトナムへの圧力を意図してはいなかったか。中国は元々は、南ベトナム、タイ山岳地帯、ラオス全域での膠着的防衛戦を当然のものと考えていた節がある。毛沢東は、述べたように1965年2月10日の天安門楼上で、北ベトナムの中国駐在責任者、南ベトナム民族解放戦線の中国駐在代表団の団長らに親しく「アメリカ人は更に来る、きっと朝鮮戦争が再来する」と語りかけた。だがこの発言は、ベトナム共産勢力にとって大きなプレッシャー以外の何物でもなかった。
  思えば、毛の「朝鮮戦争が再来する」との表現は意味深でもある。当時すでに人民戦争論の優位は決定しつつあり、そのシンボルこそは毛沢東の軍事戦略にあった。毛はベトナムを民族主義的宇宙観から中国の一部とみなすとは言え、敵の誘致導入を基本とする人民戦争論からは異なる、外部への展開につながる道路をインドシナ北部に建設しているのである。毛が例外的に人民戦争とは異なる方策を採用した実践例こそ、朝鮮戦争であった。朝鮮戦争は、近代化した米国の軍事力への警戒感から敵軍を内地に誘致導入せず、国境防衛としての限定的な局地紛争に絞り、その結果として中国人民志願軍は鴨緑江を越えたのである。しかしなぜ、中国西南部に於いて縦深通路を確保するような積極展開行動を、中国はベトナムに対し行ったのか。
  1965年9月29日には、外交部長の陳毅は米国のヴェトナム単独介入を「歓迎する」とまで挑戦的に声明している〔222〕。これは果たして挑戦的な意思表示であろうか。それとも、アメリカの爆撃はソ連や中国との関係を考慮し、北ベトナムの基地関連施設に限定した空爆を行うに止めるという確信であっただろうか。
  いずれにせよ北ベトナムをとりまく空爆は、常に北ベトナムに限定され、常に北ベトナムの国防基盤が破壊されることになった。結果として北ベトナムにはソ連や中国からの支援が継続され、それはひいてはベトナムが中国依存度を高める状況を招いている。1965年5月24日には、中国・ベトナム国境鉄道協定締結十周年の友好集会が開かれ、中国からは副総理の薄一波(薄熙来の父親である)と鉄道部副部長の郭魯が、ベトナムからは交通運輸相ファン・ツォントエが出席している〔223〕
  1965年3月に中越国境地帯の中国最南端の国境ゲート「睦南関(南方への友好の通路)」は、その名を「友誼関」と改名している〔224〕。「中国、ベトナム両国人民の友情がさらに強固になり、発展したことをしめしている」とする改名式は対等な「友誼」への発展ではなく、その実、中国から見た友好を南方に及ぼす「睦南」という冊封時代に回帰するものであった。中越戦争では、中国人民解放軍20万人が「友誼関」を通りベトナムへ侵攻することになる。

  ■軍事的戦略道路の現在:地域経済開発における影響力の浸透

  話を戻せば、繰り返すが冒頭の記事が掲載されていた時期は中国による東南アジア進出が先述のミャンマー政策同様に非常に勢いを持っていた2010年~2011年であり、中国側の新聞で多数掲載された。それは同ルートと同じくインドシナ半島への南下道路の建設が進められており、明らかに今後の示唆を持つものであり、当時このBLOGでも歴史的背景と今後への教訓として、東南アジア方向への文脈で紹介した。運輸体系の確立による中国の浸透は、中越戦争前に限った話ではない。現在の中国の対外進出を背景に、現在進行形で雲南省から東南アジア各地に向けて道路・鉄道などの運輸体系の確立は進んでいるからだ。
  現在においてもまた、その象徴はラオスであろう。ラオスのルアンナムターからフェイサーイへメコン川を目指し一直線に南下する国道3号線においては、中国とラオスの友好のシンボルとして中国国旗が出現しており、周恩来の道路戦略が再現されている。名目もまた人道援助の名のもとに行われており、シーサンパンナ人民政府の援助として、山地民の主要作物であるケシの花からコーヒーや茶葉へと、周辺少数民族の栽培作物の転換が実施されているのを目撃している。

  ラオス国道3号線
  ▲ラオス国道3号線を現地で筆者撮影(クリックで拡大できます)

  メコン川へ至れば、その対岸はもうタイ領内チェンコーンであり、現時点ですでにアジアハイウェイ3号線の「第4タイ・ラオス友好橋」が完成〔225〕。中国にたいする「濠」となっていたメコン川に架橋が完了し、船便による自由貿易も可能で雲南省と直結している〔226〕。これはホーチミン・トレイルも同様であり、現在はベトナム企業がラオス山岳地帯を通じてタイとの国境貿易を行う際の重要な交通ルートとなっている〔227〕
  ともに背景にあるのは、アジア開発銀行(ADB)が積極的に推進する大メコン圏(GMS)構想と、その主要な柱となる交通網整備構想「南北経済回廊」「東西経済回廊」である。昨今話題となる「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」について、日本の保守勢力が「AIIBの援助案件の増加は中国の台頭につながるため、ADBを強化して中国の対外進出を防ぐ」という論理は、少なくとも彼らが「対中包囲網のパートナー」としてその主要な援助先に設定している東南アジアを見る限り、破綻が約束されていることが現地の状況からして明らかである。先述のラオス国道3号線の整備事業を最も積極的に進めたのは、南北経済回廊の発展を意図していたADBであり〔228〕、その最大の功労者は、当時ADBとして「東アジア共同体」を掲げ「アジアの経済的統合に伴う共通通貨への発展」の可能性を論じ〔229〕、現政権下で日銀総裁に登用され今もその座にある黒田東彦であった。
  とにかくも中国の浸透戦略は、冷戦期には軍事援助という形で、現在は経済開発という形で、事実上国境の外殻部に牽制手段として出現しているのである。それは、インドシナ方向ではラオスのポンサーリー県およびルアンナムター県、ベトナムのディエンビエン省、ライチャウ省、カオバン省、ラオサン省で出現した。そして現在もまた、経済のグローバル化を背景にしたADBのGMS構想を追い風に、貧困地域の経済開発という具体的なグランドデザインのもとで強化されている。
  これと同様の動きが起きている地区は中国の周辺国に多い。かつて冷戦期に国境紛争を数多く抱えた中国は、やはり経済のグローバル化のなか、対外開放・地域連携の名のもとに交通・運輸手段を確立し、影響力の浸透を図っている。その代表例が、毛沢東がベトナム戦争について「再来」として引き合いに出し、また北京週報論文が「ベトナム侵略戦争を朝鮮式の局地戦争にエスカレートしようとする」〔230〕として、ベトナムと並列し捉えていた地域、朝鮮半島である。現在、吉林省と咸鏡北道の境界となる間島地域、すなわち北朝鮮北部国境地域で同様の状況が出現している。

(続く)




※211 新中國32萬大軍抗美援越紀實
  (2010年6月15日の『新華網』)
※212 毛澤東眼中的美國,中國文史出版社
※213 ベトナム人民を断固支持して米帝の戦争挑発を粉砕せよ
  (1965年『北京週報』7号)
※214 Joint Resolution To promote the maintenance of international peace and security in southeast Asia., Approved August 10, 1964, 1ST SESSION, 88TH UNITED STATES CONGRESS
※215 1965年胡志明從口袋摸出一張條:調動了中國8萬大軍!
  (2011年09月29日『文史參考』)
※216 共産圏の動向,東西関係,一 世界の動きとわが国
  (わが外交の近況 第9号,昭和40年7月,外務省)
※217 周恩来とレ・ズアンのラオス道路戦略
  (竹内正右,『モンの悲劇―暴かれた「ケネディの戦争」の罪』,毎日新聞社,1999年)
※218 ラオスの新公路建設完成さる
  (1963年『北京週報』1号)
※219 ナムバクの大勝利
  (1968年『北京週報』4号)
※220 ラオス政府の協定破棄に抗議
  (1979年『北京週報』12号)
※221 ベトナム戦争中における南部赴任幹部についての考察 ― ベトナム第3国家文書館「B赴任幹部書類」検索リストを用いて ―
  (今井昭夫,『東京外国語大学論集』,東京外国語大学,2011年)
※222 中国の戦後対東南アジア構想の諸段階(下)
  (判澤純太,新潟工科大学紀要 第3号,1998年12月,新潟工科大学)
※223 中国・ベトナム鉄道労働者の友情
  (1965年『北京週報』22号)
※224 中国、ベトナム友情のシンボル―友誼関
  (1965年『北京週報』11号)
※225  Fourth Thai-Lao bridge officially opens
  (2013年12月10日『Bangkok Post』)
※226 一帶一路輻射國際通道 昆明未來將直達曼谷、新加坡
  (2015年5月18日『贏商網』)
※227  ASEAN・メコン地域の最新物流・通関事情(2013年6月)
  (海外調査部アジア大洋州課,2013年6月,JETRO)
※228 メコン南北回廊 ADB、タイ、中国がラオスに協調融資
  (2002年12月28日『メコン河開発メールニュース』)
※229 アジアの経済統合 ─ 進化するか、アジア開発銀行総裁黒田東彦氏に聞く
  (2006年2月11日『日本経済新聞』)
※230 ベトナム情勢の「注目をひく変化」
  (1965年『北京週報』23号)












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