BLOG「獨評立論」

BLOG「獨評立論」です。ブログ名は「獨り評し論を立てる」の意。主にアジアを中心にニュースや体験などから「獨評立論」を行います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

減速する中国の外交力と周辺地域動向(8)

(続き)

4.4. 教訓としての東南アジアの歴史――中越戦争と当時の『北京週報』

  中国が建国後、地続きの周辺国に対して介入した例を挙げた場合、領土紛争を抜きにすれば最も顕著な例は東南アジア方面であり、なかでもその象徴は中越戦争である。先に述べたように、ベトナムは中華民族的宇宙観の中で「中国の一部」という感覚を有するため、その介入には一切のためらいは見られなかった。しかし、なぜ中国はベトナムに対する介入を行ったのか。その引き金は果たして何だったのか。ベトナム侵攻の背景には今もって議論があるが、一般には以下の3点――①ベトナムによる民主カンプチア国(現カンボジア国)への侵攻、②ベトナム政府による華僑商人への弾圧、③いまだ軍内部に残る文革派勢力の残存――と言われている〔62〕。これら3点は当時、華国鋒ら文革派はもちろん、文革派からの権力奪取と近代化による国家再建を図っていた鄧小平ら脱文革派にとっても看過できないものであった。
  当時の中国側の東南アジア方面への見方を読み解けば、冒頭に述べたように「中国の対北朝鮮外交は対東南アジア外交の踏襲である」(2010年3月17日、韓国紙『東亜日報』)とした場合、何よりの教訓となるはずである。他ならぬ中国が同時期、北東アジアと東南アジアを同一視している。中越戦争当時の敵国であったソ連についての文脈ではあるものの、中国の対外広報誌『北京週報』は、この点について明確な論文を立て続けに掲載した〔63〕。中国は建国後、自国の社会主義建設について対外的な宣伝広報活動に注力し、各国向けに広報媒体を発行していた〔64〕。その中には日本向けの日本語版広報誌もあり、なかでも「中国三誌」と呼ばれその主力となっていたのが、『北京週報』、『人民中国』、『人民画報』である〔65〕。当時の国際情勢と併せ、『北京週報』の論文を再考する。

4.4.1. ベトナムの民主カンプチア侵攻と、背景としての中ソ対立の影

  ベトナムによる民主カンプチア国への侵攻について。そもそも民主カンプチアは共産主義勢力のクメール・ルージュ(カンボジア共産党)により、1975年のインドシナ三国の共産化の中でカンボジアに成立した共産国家であった。同時期にはベトナムが北ベトナムにより「解放」され統一。ラオスも共産化された。しかしカンボジアでは、クメール・ルージュが大量虐殺を伴う恐怖政治を開始し、鎖国的・排外的な姿勢を明らかにしていく。背景としてはインドシナの伝統的な歴史の中で、ベトナムの主体民族であるキン族がインドシナ覇権主義を有していたことに加え、東南アジアにおける先住民族でありカンボジアの主体民族であるクメール族が、中国大陸から南下してきたキン族に対する警戒感を有していたことが挙げられる。そのなかでベトナムがラオスとの同盟関係を強化し(共産ラオス建国の父とされるカイソーン・ポムヴィハーンは、父親がベトナム人であるといわれNguyen Cai Songのベトナム名を持つ〔66〕)ラオス領内にベトナム軍を駐留させたことは、民主カンプチアにとって脅威であった。
  また両国の関係には中ソ対立が影を落としていた。クメール・ルージュは中国からの支援を受けていたのに対し、ベトナムはソ連から支援を受けていた〔67〕。数年前まで北ベトナムは、中国からも援助を受けアメリカ合衆国と交戦中であった(ベトナム戦争)ものの、1971年のキッシンジャー訪中と翌年のニクソン訪中を通じ米中両国が接近する。中国側としては当時の中ソ対立を背景に、「台灣是小問題,世界才是大問題」(台湾問題など取るに足らない、世界情勢=ソ連問題の方が大きな問題だ)〔68〕と「聯美反蘇統一戰線」(アメリカを引き込んでの反ソビエト統一戦線)を狙ったものだった。これはアメリカと交戦中の北ベトナムにとってみれば中華人民共和国の裏切りでしかなく、その後はソ連との関係を強化していく。
  ターニングポイントとなる年はベトナムが統一を果たした1975年。この年中国は、東南アジアで確固たる資本主義陣営の一員であったタイと国交を樹立する。一方でベトナムは南北統一を果たしソ連と関係を深化させ、さらに同年ベトナムを追うように共産化したラオスに対し、ソ連とベトナム両国が内政介入を深めていた〔67〕。そして国境紛争などを通じ、中国・民主カンプチア連合とソ連・ベトナム連合の間で対立が表面化していくことになる。
 ベトナムは民主カンプチアがベトナム系住民へも恐怖政治を行い、ベトナムへの挑発を行うことを看過できず、カンボジア領内に侵攻する。中国側は、ベトナム戦争で中国の支援を受け南北統一を果たしながら親ソ連となり、挙句に中国の友好国である民主カンプチアに侵攻したベトナムこそ裏切り者と見做し「教訓してやらねばならない」とベトナムに侵攻する(中越戦争)。この「教訓」の背景には、ベトナムのザップ将軍の戦争理論に対する鄧小平の思いもあったとされる〔69〕

  ■北京週報に見るベトナムへの理論的攻撃

  中国は中越戦争前後のベトナムへの理論的攻撃のなか、『北京週報』に立て続けに論文を掲載する。背景としての中ソ対立象徴するように、『北京週報』は中越戦争前後の時期、ソ連とベトナムを同一のテーブルで論じるようになる〔63〕
  北京週報1979年第49号には「ソ連・ベトナムの標ぼうする『独立』」と題した論文が掲載。「ソ越条約の軍事的性格はすでに世界的にはっきりしている」と非難し、「ASEANの『平和・自由・中立』という主旨を『平和・独立・相互協力』という言葉にかえたのは偶然ではない」と指摘したうえで、その目的を「東南アジア諸国連合をソ連の軌道に乗せるねらい」と攻撃している〔70〕。なお「相互協力」の語に警戒感を示した中国のヒステリックなこの論調は、あながち間違いでもなかったと言える。ベトナムはその源流であるインドシナ共産党時代から、分裂し潜航しつつ民族団結を鼓舞することでインドシナ共産化を図っていた節がある〔71〕。ベトナム建国の父とされるホー・チ・ミンは1956年、「独立のためには、異民族同士が団結せねばならない」(ホーチミン、ベト・バク自治区同胞への手紙)と提唱。東南アジア諸地域で浸透工作を展開していた〔72〕
  その象徴はラオスであろう。共産化したラオスはまさにベトナムの政治的植民地であった。一党独裁を敷くラオスの執政党・ラオス人民革命党は源流をベトナム共産党と同じインドシナ共産党に持つ。第3回党大会の中央委員たちのイデオロギー講習は、ベトナム・ハノイのグエンアイクォック学校(=ホーチミン学校)で日常化。ラオス人の党員にとってベトナム語が必須であったという〔72〕。また先に述べたように、実際に共産ラオスの最高権力者であるカイソーンは、ベトナム系の家庭に生まれ育ったのである。
  よって中国側は、中国およびベトナムの両国と接しつつ、ベトナムに傾斜するラオスにも警戒感を忘れていない。北京週報1980年50号の論文「ベトナム、ラオスの『特別関係』」は興味深い。「いま、ベトナムはラオス軍の二倍に相当する六万の軍隊をラオスに駐屯させている」「ベトナムがラオスと樹立した『特別関係』は、事実上、植民地支配にほかならない」と指摘している〔73〕。またここでも中華民族的世界観を剥き出しにし、「昔の植民地主義と異なる点」として「ベトナム自身が素寒貧で、商品輸出も資本輸出も出来ず、野蛮な軍事的支配を実行し、露骨に強奪、収奪するだけのこと」と糾弾している。その上で「今日、ラオス全国の軍事要地はほとんどベトナム軍の占領下に」あるとして、その要因をベトナム当局が「ソ連と結託」していることに求めている。これは、過去の中国もまた植民地主義の犠牲者であり弱者であったものの、その中国よりも劣るはずのベトナムが植民地主義を成功させていることについて、民族的宇宙観との整合性をつけるためであろう。
   『北京週報』1980年28号では、「ソ連軍事力、ベトナムを通じ東南アに進出」、「中国辺境地帯で挑発に出るベトナム」、「ベトナムの侵略に抵抗するタイを支持」と3つの論文を掲載〔74〕。注目すべきはこの号に、日本人からの投稿として「華総理の訪日」という文章も掲載されている点。「日中交流史上画期的意義をもつもの」と称賛しつつ、「ソ連は早速これを攻撃しましたが、これは反覇権運動の成果を彼らが立証したもの」という声を掲載している。すなわち、「資本主義陣営+中国・民主カンプチア連合 vs ソ連+ベトナム・ラオス連合」の対決の構図が、この時点で明確に完成していたことを表している(当時の中国は、日本の北方領土奪還についても明確に「支持」であった)。論文3件の中で述べられているタイとベトナムの関係では、民主カンプチア領内に侵攻しクメール・ルージュを駆逐・掃討するベトナム軍が、タイ国境地域へ侵入したことについて非難している。しかしタイの脅威は主にベトナムのインドシナ覇権主義であったのに対し(タイもまたカンボジア同様、ベトナムへの警戒感が強い)、「ソ連軍事力、東南アジアへ進出」とあるように、中国はラオスおよびベトナムに対し明らかにソ連を見ていた。

  ■南方「中華」へのソ連の影響力を座視できなかった中国

  この時、中国は南北から「ソビエト修正主義」「ソ連社会帝国主義」に包囲されているような錯覚に襲われていたのである。華国鋒ら文革派はこの状況を座視できなかった。文化大革命は、「共産主義の変質」を危惧し「ソビエトが修正主義に変じている」との懸念から始まった中ソ対立のなかで発動されたためである。一方で文革派からの権力奪取と近代化による国家再建を図っていた鄧小平ら脱文革派にとっても、この状況は看過できないものであった。鄧小平は中国を文革から脱皮させ近代化への目を開かせた功績が注目されているものの、一方でソビエトに対しては理論的妥協を許さなかった人物でもある。ソ連末期の関係改善の中で中ソ対立論争を振り返り、誤りは双方にあったなどと述べている。だがそれも詳細に語ったものではなく国内向けではなかった。今も『鄧小平文選』には収録されていないという〔75〕
  結論を書けば、中越戦争は、中国の文革派・脱文革派を問わず共有されていたベトナムに対する中華民族的宇宙観を背景に、中ソ対立の国際情勢も重なって勃発した。そしてそれは「中華世界」としての東南アジア地域における影響力をめぐって、中国が有する宇宙観の秩序に反する異分子排除の戦いだったと見ることもできる。
  なお、中国側のベトナムに対する捉え方については遡ること約17年、同じく『北京週報』の1963年1号に掲載された「ラオスの新公路建設完成さる」に注目すべき記事が掲載されている。中国がラオス(共産化以前)に対し友好のシンボルとして援助を行い、道路が完成したという成果を誇った文章である。「一九六二年一月両国間で調印された協定書にもとづき無償、無条件で中国から贈られたもの」として紹介されている。これは後に周恩来に「北ベトナムへの牽制だった」と言わしめた道路であり、米国のベトナム撤退後に北ベトナムによるインドシナ3国支配を見据え、ラオス政府の査察なしに戦争中も進められていた〔76〕

(続く)




※62 ヴェトナム 「豊かさ」への夜明け
  (坪井善明,岩波新書,1994年)
※63 満洲はパヤオなり――地域交通政策から見る北東アジアと東南アジア――
  (南文明,『曠々満洲』第四号「旅する満洲」,2014年,満洲研究会,)
※64 關于《北京週報》
※65 三誌友の会- 岡山市日中友好協会
※66 ラオス ― インドシナ緩衝国家の肖像
  (青山利勝,中央公論社〈中公新書〉,1995年)
※67 ブラザー・エネミー―サイゴン陥落後のインドシナ
  (Nayan Chanda,めこん,1999年)
※68 中國威脅與台灣國家安全(上)
  (2003年5月29日『南方快報』)
※69 仏領インドシナ下のモン
  (竹内正右著『モンの悲劇―暴かれた「ケネディの戦争」の罪』,毎日新聞社,199年)
※70 ソ連・ベトナムの標ぼうする「独立」
  (1979年『北京週報』第49号)
※71 インドシナ共産党から三つの党へ――1948〜51年のベトナム共産主義者の対カンボジア・ラオス政策
  (古田元夫,アジア研究 29(4), p42-78, 1983-01 アジア政経学会)
※72 ディエンビエンフー陥落
  (竹内正右,『モンの悲劇―暴かれた「ケネディの戦争」の罪』,毎日新聞社,199年)
※73 ベトナム、ラオスの「特別関係」
  (1980年『北京週報』50号)
※74 ソ連軍事力、ベトナムを通じ東南アに進出
   中国辺境地帯で挑発に出るベトナム
   ベトナムの侵略に抵抗するタイを支持
  (1980年『北京週報』28号)
※75 いまだ解けぬ呪縛 タブー視され、総括されない中ソ論争
  (2013年10月29日『産經ニュース』)
※76 ラオスは戦場だった
  (竹内正右,Clay Bussinger,めこん,2005年)












「この記事は好評価」なら… ⇒ 下のバナーをクリック!

人気ブログランキングへにほんブログ村 ニュースブログ 海外ニュースへにほんブログ村 政治ブログ 国際政治・外交へブログ王へ




スポンサーサイト
  1. 2015/01/09(金) 19:39:19|
  2. シリーズ記事「減速する中国の外交力と周辺地域動向」(未完)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<減速する中国の外交力と周辺地域動向(9) | ホーム | 減速する中国の外交力と周辺地域動向(7)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://dupinglilun.blog134.fc2.com/tb.php/56-1ec72829
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

時計


BLOG「獨評立論」

BLOG「獨評立論」です。ブログ名は「獨り評し論を立てる」の意。筆不精ですが、主にアジアを中心にニュースや体験などから「獨評立論」を行います。

Author:DUPINGLILUN
一人の日本人です。一切の企業、団体、宗教等とは無関係です。/ngóa sī Ji̍p-pún-lâng kì-chiá./yat boon yan/JAPANESE

ブログランキング

ブログランキングに参加しております。良い記事であると御評価下さる方は、ぜひバナーのクリックを御願いします。

人気ブログランキングへ にほんブログ村 政治ブログ 国際政治・外交へ
ブログ王へ

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

獨評立論-未分類 (0)
獨評立論-中国 (23)
獨評立論-日本 (0)
獨評立論-朝鮮半島 (3)
獨評立論-東南アジア (7)
獨評立論-媒体 (2)
獨評立論-その他 (1)
シリーズ記事「謀略鐵路」 (10)
シリーズ記事「減速する中国の外交力と周辺地域動向」(未完) (16)
獨評立論-詩詞 (2)

過去記事全リスト

検索フォーム

最新コメント

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSリンクの表示

書棚

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。