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減速する中国の外交力と周辺地域動向(5)

(続き)

2.3 ミャンマーの外交方針の転換

2.3.1 ミャンマーと中国の関係とその変化

  ミャンマーが昨今、「最後のフロンティア」として先進国の国際資本やビッグビジネスから注目を浴びていることは冒頭で軽く触れた。また先ほど述べたように、中国の強引な開発に対する批判を始め、世論を無視できない状況が出現しつつある。これらの背景にあるのは、昨今緩やかに進んでいるミャンマーにおける体制変革を避けては通れないだろう〔40〕。具体的には、①軍事政権から民政への移管を通じた政治的民主化、②自由主義諸国との外交関係の改善、③準鎖国状況から対外的な開放を進めたことで生まれたビジネスチャンスや市場創出――など、いわゆる「西側諸国」「自由主義諸国」から見た場合の「体制の“改善”」である。
  2007年10月に軍事政権下で北西軍管区司令官、空軍司令官を歴任したこともあるキン・ニュン首相が死去し、後任として現在の大統領でもあるテイン・セインが首相に就任した。その時より軍政主導の政治体制の改革が開始され、民主化に向けたロードマップが策定されていく。また11月には、民主化運動の闘士として人気の高いアウンサンスーチー女史の軟禁解除も実施。2011年3月にテイン・セインは大統領に就任すると、軍事政権の中核である国家平和発展評議会(SPDC。旧SLORK=国家法秩序回復評議会)も解散し、新政府への権力移譲と民主化勢力の政党化も進行。民主化勢力のみならず、少数民族集団や、「旧」軍事政権に連なる勢力も含めた、政治的エスタブリッシュメントの並列が進んだ。
  ここで注目したいのは、②自由主義諸国との外交関係の改善――である。この政策は相対的に、国際社会における後見人である中国への依存を高く保ってきたミャンマーにとって、中国傾斜の見直しと対中関係について調整を意味する。

2.3.2 ミャンマーと中国~「胞波」としての蜜月とプレゼンスの低下~

  両国の関係は、ミャンマー(ビルマ)が中国を最も早く承認した国家の1つであったこともあり、良好であった。中国とミャンマーは互いを「胞波〔baobo〕」と呼んでいた。これはビルマ語で「血を分けた兄弟」を意味する「パウッポー〔BautPow〕」に近い音を当てた単語で、「同胞」の「胞」の字を用いている(なおミャンマー在住の華人を指す場合もある。軍事政権には華人も多かった)。互いに指導者が相互訪問を行っており〔41〕、さらに言えば、両国の友好関係で一番の肝となっていたのは、政府首脳らによるトップ外交であった。
  先に述べたように、2010年には温家宝がミャンマーを訪問し積極関与を行っていた。2009年から2010年にかけて中国共産党の中央政治局常務委員9人のうち、ミャンマーを訪問したのは李長春、習近平、温家宝の3人にのぼる。ミャンマーからも軍事政権トップのタンシュエ議長が2010年9月に訪中。テインセイン大統領率いる新政権が発足した直後の2011年4月にも、中国人民政治協商会議の賈慶林主席がミャンマーに飛んでいる。軍人では、同5月に中国共産党中央軍事委員会の徐才厚副主席がミャンマーへ。また同月にテイン・セイン大統領も訪中した。しかし同9月にテインセイン大統領によるミッソン・ダム凍結宣言以降は、しばらくトップ外交が停滞することとなる〔42〕
  その間に、ミャンマーは欧米諸国との関係改善を図り始め、いわゆる「西側諸国」は制裁の緩和や援助の本格化を開始。先進諸国の企業はミャンマーに新たな市場としての価値を見出し、ミャンマー側も準鎖国体制ともいえる外資への規制を緩和し始めた。その結果、ミャンマーにおいて中国のプレゼンスは相対的に低下していった。中国のミャンマーにおける「核心的利益」の確保は頭打ちという気配が漂い始めた。

2.3.3 余談:宋文洲氏の2014年2月27日tweetの位置付け

  余談ではあるが、この時期、日本とミャンマーの関係が深化していくにつれ、日本軍戦没者の遺骨収集に注目が集まった。2014年でインパール作戦から70年ということもあり、2013年1月から外国人の立ち入り規制が緩和されたことを背景に、民間団体が調査に乗り出した〔43〕。日本の政府与党も、遺骨収集を「国の責務」と明記した議員立法の提出を検討している。
  なおインパール作戦は、中国とミャンマー(当時ビルマ)の国境地帯である北部山岳地帯で行われ、援蔣ルートやその主要ルートであるスティルウェル道路とはその地域が重複していた。偶然ではあるが、2010年11月4日の『人民日報海外版』は、「保山:打造走向南亞第一市(雲南沿邊行)」の中で、ミャンマー方向への交通網の更なる整備を謳うなか、「南方のシルクロード」「中印道路(スティルウェル道路)」「抗日戦争の生命線」というキーワードを掲げている。
  中国人コンサルタント・宋文洲氏が、「ミヤンマで俘虜を惨殺する日本兵。イギリス老兵が公開」(原文ママ)として、ミャンマーと関係のない戦時中の合成写真をミニグログ「ツイッター」に投稿したのは、2014年2月27日のタイミングであった〔44〕。まさにミャンマーにおける中国の「核心的利益」の停滞と、日本とミャンマーの関係深化が、パラレルな形で進んでいた最中であった。

2.3.4 中国側にもあった対ミャンマー首脳外交の空白要因

  話を戻す。中国・ミャンマーの関係の停滞において、日本では中国の進出から逃れたいミャンマーの「英断」という言論が保守系論壇を中心に散見される。しかし果たして背景要因はそれだけだろうか。
  注目したいのは、この時期、中国側でも指導部で変化が起きていることである。それは胡錦濤・温家宝らによる第四世代「胡温体制」から、習近平・李克強らによる第五世代「習李体制」への変化である。つまり中国側にも、中国・ミャンマー間の首脳外交を空白化させる要素が多分にあったと言えよう。軍政時代は相互訪問の度に経済協力の案件について取り決めや議論が交わされていたものの、中国側での世代交代とそれに伴う権力闘争の激化の結果、それがストップする。
  穿った見方をすれば、民主化などの政治体制の変化は、ミャンマー側がこのタイミングを狙った可能性があるとも考えられる。中国の予想以上の進出にミャンマー側が警戒感を覚えたものの、個別プロジェクトや対中依存は外交関係の中で友好的に発生したものであり、簡単に拒否を示すことはできない。況や当時国際的に孤立していたミャンマー軍事政権に於てをやである。
  ミャンマーは、重要にして重荷でもある「後見人」中国から逃れねばならなかった。雲南省を拠点に東南アジアへの経済的浸透を図る、中国の戦略「『橋頭堡』戦略」は着実に実行されていた。その戦略は、ミャンマーに対しさまざまな食指を伸ばしつつあった〔45〕。しかし一方で、同戦略は近く「旧世代」となる指導者・胡錦濤が2009年7月の雲南訪問時に発した談話に始まっているものであった〔46〕。次期指導者と目される習近平は、すでに胡錦濤からの権力奪取に向けて動きを本格化させ、ミャンマーを訪問していた温家宝にも、その触手を伸ばしつつあった※47
  ミャンマーにとっては、対中関係で友好関係を過激な険悪状況に追い込まずに「『橋頭堡』戦略」から逃れ、「緩やかに」中国の影響力を削ぎながら国際社会への復帰を果たすことが、いずれ必ず課題となって浮かび上がるはずであった。それを実現するタイミングは、中国サイドで権力闘争が激化するその時のみであったともいえる。

2.3.5 対中過剰依存からの脱却という結果

  いずれにせよ、ミャンマーにおけるさまざまな政治的変化は、中国に対する過剰依存からの脱却という結果を招いた。それこそ、今年2月14日に国際NPO「プロジェクト・シンジケート」が指摘をしている点であり、同NPOのBRAHMA CHELLANEY 博士の論考における「ミャンマーに対する支配の弱体化」「アジア地政学の変質」そのものである〔48〕
  これは、中国の予想以上の進出にミャンマー側が警戒感を覚えた結果かもしれないし、そうではないかもしれない。ただ確実なのは、中国が「核心的利益」として進めるプロジェクトの現地住民には、反中的世論が形成されつつあったという事実である。そして、長らく軍事政権の独裁体制に対する国際的な輿論と圧力が、ミャンマーの孤立を深めていたという事実である。
  ミャンマーにとっていずれは改善されねばならない状況であり、克服しなければならない課題であった。そしてその課題に対しては現在、長く曲折に満ちた道半ばではあるが、徐々にその処方箋は効果を出しつつある。

(続く)




※40 白水社『ビルマ・ハイウェイ 中国とインドをつなぐ十字路』,タンミンウー,2013年

   

※41 中緬“胞波”情誼源遠流長
   (2001年12月10日『新華網』)
※42 中国の対ミャンマー政策:課題と展望
   (工藤年博,政策提言研究,JETRO,2012年8月20日)
※43 ミャンマーなどでの戦没者遺骨収集、強化へ
   (2014年1月9日『MSN産經ニュース』)
※44 宋文洲氏(@sohbunshu)tweet,2014年2月26日
※45 Is Burma the first Causality of Chinese Imperialism ?
   (2010年5月27日『Asian Tribune』)
※46 在橋頭堡建設中完善對外開放戰略布局
   (2010年6月1日『雲南網』)
※47 中国情報に権力闘争の匂い
   (2011年5月6日、当BLOG過去記事
※48 Friendless China(BRAHMA CHELLANEY)
   (2014年2月13日『PROJECT SYNDICATE』)












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